イェイェについて


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先ずは、フランスの音楽界のおさらいから:
1960年代初頭までは50年代から続く
オーソドックスなシャンソンが一般に根強い支持
を受けていたのですが、1962年のビートルズ登場、
あるいはエルビスの台頭により
少しずつ若者たちが変化してゆきました。

こんなyeyeがある、イェイェ娘がいるよ・・ 情報はe-mail: mahoroba@prodr.comまで教えて下さいマセ

イギリスやアメリカから発信された新しいメロディやリズムに
触発されたフランスの若者たち。
そしてクリエーター達はロックグループを模範にして、
試行錯誤の中にフランス流の音楽が作られてきました。

そんな時代がシルビーバルタンのデビュー時期。この新しい
シャンソンのスタイルは「シャンソンイェイェ」と呼ばれました。
イェイェとは米国から流入したロックンロールのフランス版の事
YearYear!という掛声が、フランス人にはYeYe(Yの上に'がある字)
イェイェと聞こえたらしく、そんな名称が付いたらしいです。
当時のフランス「イェイェ」は、日本で言えばロカビリー、
アメリカのロックンロールの影響が世界に及んでいた時代です。


そして1968年にはパリ五月革命(パリコミューン=学生運動)

若者達の権力に対する反抗心は学生運動という形となって現れ、
パリではバスも地下鉄もストで止まってしまいました。
この年を契機に考え方が二極化し、世界が二つに分裂しました。
さて何の世界でしょう。 そう
音楽上での「若者たちの世界」と、「大人たちの世界」です。


そしてアメリカ、西欧、日本も同じような流れになりました。
フォークやロックシンガーはそんな旧体制を否定する歌を唄う
シンボルでもありました。新谷(しんたに)のり子さんって
ご存じでしょうか? 3月30日の日曜日パリの朝に、燃えた
命ひとつ・・「フランシーヌの場合は」です。

フランス大衆音楽も、それまでのシャンソンイェイェは
ミッシェルポルナレフによって葬り去られました。
ロックの模倣(借り物音楽)であったシャンソンイェイェを越えた
ロック・ア・ラ・モードがポルナレフなのでしょう。


従ってシルビーバルタンはフランス版プレスリーと称された
夫のジョニーアリディーらと共に「大人側の世界」の歌い手
になってしまった訳です。「若者からの人気」の離散現象

ロックは根底に、抵抗と反抗、反骨精神がある様に思います。
ロックがこの時代に基盤を置くのは、
かくある背景の中で「若者が生きてきた」からなのかもしれません。


当時のシルビーバルタンの歌には
「抵抗とか反抗とか反骨精神」等はありません。

聴いていると、何か素晴らしい事が始まるような
予感さえ感じさせてくれます。これがアイドルの条件なのでしょう。
今でも時々、気が滅入った時に聴くのはシルビーのイェイェ!!
正統派!シャンソン好きの方は、イェイェ時代の小娘たちを
「おバカでカワイイ、歌唱力のない頭の悪い子たち」
と呼ぶかもしれません。
しかしアイドルは、憧れであり、夢を与えてくれる存在
でなければならないのですから、
歌唱力は問題にしないほうが宜しいかもしれません。
1963年のシルビーバルタン『アイドルを探せ』
1964年のビートルズ『四人はアイドル』
YeahYeah!とYeYe・・・・
そんな時代の歌が好きです。

イェイェ娘たちは、五月革命後の70年代には、
大人の世界、若者の世界、童謡の世界等にファン層を求め
さまよい始めました。       洋彰庵 記

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