別の視点でイェイェ


戻る
別の立場からのイェイェ考

1961年、セルジュ・ゲンスブールは「文学的」とも
呼ばれる名作"L'Etinnant Serge Gainsbourg"を発表
しかし歌手としての地位は未定で伊達男ぶりも未だでした。
その後、時代はイェイェの時代になりました。
"chez les ye-ye"「イェイェの時代に」という曲を
含むアルバム"Gainsbourg confidentiell"を発表。
ここで「ロリータ」という言葉が一般的になりました。

こんなyeyeがある、イェイェ娘がいるよ・・ 情報はe-mail: mahoroba@prodr.comまで教えて下さいマセ

セルジュはアイドルとしては絶頂期のフランス・ギャル
に曲を書き、大ヒットさせています。おなじみの曲の数々。
フランス・ギャルの曲からSerge Gainsbourgを知った人
も多いと思います。

「アイドルばかり聴かないで」「ベビーポップ」
ちょっとHな「アニーとボンボン」そしてもうひとつ
あの有名な「夢見るシャンソン人形」・・・・。

そして時代は60年代の中盤になりました。
1967年からブリジット・バルドーとセルジュは
一緒に仕事をするようになりました。セルジュにとって、
バルドーはまさに理想の女性であった様子。
"Je t'aime...moi non plus"・・・をバルドーに
捧げましたが、あまりにもスキャンダラスな時期でも
曲でもあった為、バルドーとのデュエットは未発表。

その後、セルジュはプレイボーイとして名を馳せ、
1969年に、ジェーン・バーキンとのデュエットで
"Je t'aime...moi non plus"を発表しています。

このセルジュとバーキンのデュエットは世界中で
ヒットしましたが、ジェーンの故郷(英国BBC放送)
では放送禁止になるほどのエロティックで
スキャンダラスな曲でした。日本でも流行しました。
当時、中学生の洋彰庵、Je t'aime....ああ〜ふぅ〜
バーキンの吐息とセルジュの甘く太い口説き声で
頭がクラクラしていました。イェイェの終焉を感じた
そんな1960年代の終わりでした。 洋彰庵 記

bardot

B
a
r
d
o
t

イェイェインデックスに戻る
Copyright(C) 2001.yousyouan-Honpo
画像・プログラム等は著作権により保護されています。・・なんて


洋彰庵本舗